自由と不自由

現在次男の慣らし保育中だ。

長男と次男を保育園に送り、身軽な体で郵便局へ行き、エレベーターを待ち、家に帰って布団を干し洗濯物を干し食器を洗い夕食の下ごしらえをし、長男の遊んだおもちゃを片付ける。

 

下手したら三日以上かかる家事をわずか二時間で完了させられる自由。

 

自由ってすごいことだ。

 

子育て中には自由がない。

 

ただ洗濯物も取り込むのも買い出しに行くのも自分がトイレに行くのも、常に子ども中心でタイミングを考えなければならない。

 

これが不自由と言わず何と言おうか。育児は育自?

 

そりゃ自分も育てられてるとは思うけど(主に忍耐力)、子どものいない人は人間として未熟って考えはどうかなー。子どものいない人が未熟で子育て中の人が成熟しているかというとそうでもないし。

 

ところで前回記事に共働き夫婦の現実を考えたが、私は子どもがいない人や孫育てしている専業主婦は偉いと思う。だって、育児に時間と自由を取られないから、しっかり働いたり息子夫婦のサポートに回ったりして社会に還元している場合も多いから。

 

子どもは可愛いけれど、子育てってそんなに甘っちょろくない。片手間にできるわけではない。だから昔は専業主婦が今より多く存在したわけで。

 

私は専業主婦になったら毎日自堕落に過ごすことが目に見えてるし、仕事をしていることを言い訳に家事の手抜きが出来なくなることがプレッシャーなので仕事は辞めない。

 

家事の手抜きをタスカジさんでフォローし、タスカジさんを雇うだけの収入を得れば問題なかろう。